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『ささげて生きる』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 マルコ12:38-44

はじめに

今朝は、「やもめのささげもの」として、よく知られているところから、主にささげるとは何か、また何を私たちはささげるべきなのかをご一緒に見てまいります。

1.律法学者とやもめ

主イエスは群衆に向かって、「律法学者たちには気をつけなさい」(マルコ12:38)と警告されました。彼らの問題点は、関心が神から人へと移って行ったために、律法を人々に教えてはいましたが、自分たちはそれを実行せず、偽善者になってしまったことでした(マタイ23:3)。

その後で、自分の生活費の全部をささげた一人の貧しいやもめのことが記されています。主はこの婦人について、弟子たちに「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。・・・この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです」(マルコ12:43-44)と言われました。このやもめは、主が自分のささげものを見ておられたことも、自分を評価した言葉も聞いていません。まさに、人の目を意識したのではなく、主だけを見て、隠れた所で精一杯のささげものを主にしたのです。

人の評価や人からの報いを求めて主の働きをする時、主の眼差しを忘れてしまうだけではなく、人を恐れるようになってしまいます。人からの報いを受けるのではなく、隠れた所で見ておられる主からの報いを受け取ろうではありませんか(マタイ6:18)。

2.主イエスが見ておられたもの

主イエスがここで見ておられたのは、ささげた額ではなく、主に対する信仰の姿勢です。やもめは、全て主によって生かされているのだから、主にすべてを委ねて生きるということを表して「生活費の全部を投げ入れた」(マルコ12:44)のです。主イエスは、やもめがささげた献金の内に、主に頼りきって生きている彼女の信仰をご覧になったのです。

私たちは、主から与えられた様々な賜物をささげて主への奉仕に励み、主を礼拝することによって自分自身を主にささげます。使徒パウロが、「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」(ローマ12:1)と勧めたように、主が私たちに求めておられるささげものは、私たち自身です。やもめのように、自分の生活だけでなく、命そのものが主から与えられたものであるという信仰を最も良いささげものをもって表しましょう。

3.主イエスは、御自身を私たちのためにささげてくださった

主イエスは、この後、十字架の道を進んで行かれます。御子イエスがこの世に来てくださったのは、十字架でご自身をささげるためです。主イエスは、富んでおられる方ですが、文字通り「あるだけを全部」、私たちの贖いのためにささげてくださいました(Ⅱコリント8:9)。

主イエスが御自身を一粒の麦として十字架での贖いのためにささげられたとき、主イエスを信じる者を救うという豊かな命の実を実らせました(ヨハネ12:24)。私たちは、自分自身をささげてくださった主イエスの愛と恵みに、感謝し喜びをもって応答してまいりましょう。主は、ささげる者に対して、「天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注」がれます。そして、「常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方」(Ⅱコリント9:8)であることを覚えましょう。

まとめ

主イエスは、レプタ二枚をささげたやもめの態度に、単なる金額の問題ではなく、主に生涯のすべてをささげる信仰をご覧になりました。主イエス御自身も、その命もすべてを私たちのためにささげてくださいました。私たちのために命をささげてくださった主に、このやもめのように、私たち自身を主の前に生きた聖なる供え物としてささげて行きましょう。

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