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『御国を目指す旅人』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 創世記45:1-8

はじめに

父イスラエル(ヤコブ)に愛されていたヨセフは、突然兄弟たちに裏切られ、奴隷として売られてしまいます。その後、濡れ衣を着せられたり、忘れ去られたり、苦難のどん底に落とし入れられました。しかし、彼の人生には神の深いご計画と御心がありました。今朝はヨセフの生涯を通して、もう一度私たちの信仰の歩みを探られたいと願います。

Ⅰ.神は召された者と共におられて万事を益とされる

  • 父親に溺愛されていたヨセフは、兄弟たちに妬まれ、奴隷としてエジプトに売られます。長い年月を経て、彼はエジプトの宰相になるばかりでなく、自分の家族をエジプトに迎え入れるようになりました。そこに至るまでの道のりは孤独と苦難、理不尽な体験の連続でした。しかし、彼は、兄弟たちと再会した時に「私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです」(創世記45:8)と言ったのです。
  • ヨセフは自分の身に起こった全ての事柄の背後に、神の救いの計画を見ていました。これは実に信仰による視点です。私たちも今朝、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)とヨセフのように告白させていただきましょう。

Ⅱ.主の前に忠実に歩むことの幸い

  • ヨセフはポティファルの僕であった時、無実の罪で囚人となった時、また、エジプトの宰相になった時も、自分の前に置かれた働きを忠実に行いました。それによって、置かれたところで主人に用いられました。人間の主人に忠実に仕えることは、主に対する従順を現すことになりました(コロサイ3:22)。
  • また、自分の置かれたところで忠実に仕えたことが、ヨセフにとっては、結果的に、将来の働きのための訓練の時となりました。牢獄の中でも、他の囚人たちの管理者として主の前に忠実に仕えたことが、やがてエジプトの宰相として国を管理し、大飢饉に備えるという一大事業を成し遂げる備えとなったのです。主イエスは「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」(ルカ16:10)と教えています。私たちは今置かれているところで、主に仕えるように全てのことに従事しようではありませんか(コロサイ3:24)。

Ⅲ.神を信じる者は、御国を目指す地上の旅人である

  • 父ヤコブの亡き後、ヨセフは「神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださる」(創世記50:24)と、神の約束に立ち、信仰によって語りました。ヨセフは自分の遺体をエジプトから携え上るようにと子孫に誓わせました(ヘブル11:22)。
  • ヨセフ自身は、この地上では約束の地に入ることはできませんでした。ヨセフだけではなく、信仰の人々はみな約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかに神の約束の地である御国を目指してこの地上での生涯をおくったのです。私たち新約時代に生きる信仰者はなおのこと、主イエスの救いによって御国の世継ぎとされているのですから、信仰によって御国を目指して喜びつつ歩んでまいりましょう(ヘブル11:13)。

結 論

私たちはヨセフの生涯を通して、私たちの救いのために神は背後で働かれ、万事を益としてくださることを深く教えられます。私たちはこの世では旅人であり寄留者ですが、ヨセフと共におられた神は、私たちと常に共におられ、御国に導いてくださいます。イエス・キリストを信じる者は、その国籍はすでに天にあるのです(ピリピ3:20)。ですから、私たちは神の御国を目指して、日々、忠実に信仰生活に励みましょう。

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