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みことばを心に留めよ

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 ヘブル2:1-10

ヘブル人への手紙が書かれた目的の一つは、聞いたみことばにしっかりと立つようにとの励ましをクリスチャンに与えることでした。みことばに堅く立つとき、私たちの信仰はいかなるものにも「押し流され」ることはないのです。

Ⅰ.御使いではなく御子を通して語られた福音

ここでの「御使たちを通して語られたみことば」(ヘブル2:2)とは、律法のことを指しています。当時のユダヤ人たちは、旧約聖書の律法やおきてなどは、御使いを通して人々に伝えられたものだという考えがありました。ヘブル書の著者は、福音は、御使いよりもはるかにまさった御子である主イエスご自身が、「しるしと不思議とさまざまな力あるわざ」と「聖霊が分け与えてくださる賜物」(ヘブル2:4)を通して語られたことを強調しています。律法を守るために厳しい処罰があるならば、御子自身が語られたみことばへの不従順に対しては、なおさら、どんな逃れ道もないとヘブル書は警告します。私たちは、聞いた主のみことばに対して不注意であってはなりません。むしろ「聞いたことを、ますますしっかり心に留め」ようではありませんか。みことばに堅く立つなら、何が押し寄せてきても、私たちは押し流されることはありません。「…雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」(マタイ7:25

Ⅱ.御子の招きに応えるものとなろう

ヘブル書の著者は、主イエスは後の世のすべてを支配する王の王、主の主であることを宣言しています(ヘブル2:6-8)。最初の人間アダムは、人間以外のすべての被造物を支配する権威を神から授けられました(創世記1:26)。しかし、罪のためにそれを成すことはできませんでした。最後のアダムであるキリスト(Ⅰコリント15:45)は、神の御心にかなう人間の代表者となり、人間に本来与えられた世を統治する権威を受けたのです。主が天に挙げられ(使徒1:9)、神の右に着座された(Ⅰペテロ3:22)ことによって、主の統治は始まっています。しかし、今の現実を見る時、すべてのものが主に従っている様子は見えていません。神よりもこの世の支配者や罪が、非常に強い力となって私たちに押し寄せているように見えます。主がこの世を完全に統治されるのは、救いの完成をなされる主が再び来られる時です。しかし、見えるところがいかなるものであっても、私たちは恐れることはありません。私たちと共におられる主は、完全な勝利者です。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)また、主は人が罪赦されて主を信じる者となることを忍耐をもって待っておられます。「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(Ⅱコリント6:2)今日、主の救いの招きを聞いたならば、さまざまなことに心惑わされずに、直ちに主の招きに応えて、主イエスを信じ従ってまいりましょう。

聖書は、主イエスのこの世に対する完全な支配はまだ見ていなくても、私たちは主イエスの十字架の死と復活を見ているではないかと語ります。主は、私たちの最大の敵である死に打ち勝たれ、圧倒的な勝利をすでに得られたのです。命にあふれる主が共にいてくださるのなら、私たちは何も恐れることはありません。キリストの十字架の死と復活は、過去、現在、未来にわたり、主がすべてを統治されるということの保証です。私たちにとって今日、主イエスが大きいのでしょうか、それとも問題が大きいのでしょうか。すべてを支配しておられる主、圧倒的な勝利者である主が私たちのうちにあってすべてにまさって大きな方として崇められる時、問題や困難は微小なものとなるのです。主イエスに土台を据え、みことばをしっかりと握って信仰によって勝利を得ようではありませんか。

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