礼拝説教

礼拝メッセージ

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福音を告げ知らせる主

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ4:31-44

主イエスはその公生涯において、町々村々を巡り、神の国の福音を宣べ伝えられました。ここには、主イエスのガリラヤ伝道における最初の記事が記されています。

Ⅰ.御言葉は、悪霊に縛られた人を解放し、病に打ち勝つ力を与える。

カペナウムという町に来られた主イエスは、これまでされてきたように安息日ごとに礼拝をされました。礼拝では聖書を朗読し、それを説き明かし、神への信仰を人々に教えられました。ここでも、主が御言葉を語られるとき、人々がその教えに驚いたことが記されています。人々が驚いたのは、その言葉に権威と力があったからです。主はその御言葉をもって悪霊を追い出し、病にある者たちを癒されたのです。今も御言葉には、悪しき霊に捕らわれている人たちを解放して自由にし、病に苦しむ人々を癒し、病に打ち勝つ力があります。私たちには、この力ある生ける神の御言葉が与えられていることを覚えましょう。心の内に御言葉を蓄え、私たちの思いを御言葉によって支配していただきましょう。

Ⅱ.礼拝後、主イエスはシモンのしゅうとめをはじめ多くの病人を癒された。

主は礼拝を終えて会堂を出、シモン(ペテロ)の家に行かれました。そこにはシモンのしゅうとめが、ひどい熱で苦しんでいました。主イエスが熱をしかりつけると熱がひき、彼女は癒されて主イエスとその一行をもてなしたのです。この時も、主はその御言葉の権威と力によって熱病を追い払われたのです。また、安息日の終わる日暮れには、主イエスの所に大勢の病人たちが連れてこられました。それらの人々にも、主イエスはひとりひとりに手を置いていやされました。安息日が終わって夜遅くになっても、御言葉の権威と力によって、病める人々を癒されたのです。主は神の子であられると同時に完全な人でもあり、一日の疲れを覚えておられたことでしょう。しかし、主はどんなときでも、主に来る者たちに憐れみと恵みを豊かに与えてくださったのです。私たちも、いつでも主のもとに行くことができます。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。…ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4:15-16

Ⅲ.主にある安息の憩いを知らせるために、私たちは福音を宣べ伝える。

朝、主イエスがおられないことを知ると、群衆は、主を捜しました。それは、人びとを癒すことができる力ある主が、自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとしたからでした(ルカ4:42)。しかし、主イエスの真の目的は、人々に神の国のおとずれを宣べ伝えることでした。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから」( ルカ4:43)。天地万物を創造された主は人間を創造し、そして主の安息に人を入れてくださいました。人間にとって、神の安息はどうしても必要です。人は、主の与えてくださる安息によってのみ、真に肉体も魂も潤され、命に溢れて生きるように創造されています。父なる神の御心は、全ての人が神の国に生きる喜びを知り、神の安息を受けることです。主イエスは、その神の御心を宣べ伝えるためにあらゆる所に出て行かれたのです。神の御心は今も変わらず、福音を伝える主イエスの歩みも今なお私たちを通して続いています。聖書に「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」(ローマ10:15)とあります。私たちも主にある安息にあって憩い、この安息の主の恵みを宣べ伝えてまいりましょう。

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