お手伝いⅡ
今年の教会学校の合言葉は昨年度に引き続き「神様のお手伝い」です。幼児期は認められることに喜びを感じ、喜んでお手伝いをします。人が見ていなくても、神様の目には全ての思いや行動は見えています。神様に喜ばれることは、自分を愛するように家族や友だちを愛することです。お手伝いは命令されてするのではなく喜んですることを奨励していきます。お手伝いは家族や人の「役に立つ」行為として、親ならば、褒めるより感謝する言葉の方を言ってあげてください。「ありがとう」「助かった」「うれしい」と子どもがやってくれたことが、親にどのように影響を与えていることを伝えることが大切です。「いい子だ」「えらいね」と評価するのは第三者でよいのです。神様のお手伝いは家族や周囲にも喜びを広げます。今年も教会学校では日曜日を中心に様々な活動を予定しています。ご理解とご支援を宜しくお願いします。
忍耐力はいつから
先日、競馬の三冠馬の騎手の特集をテレビで観て、勝つことで逸る気持ちを抑えることが馬から教えられたことだと語っていました。その騎手とは別に教え子で騎士になった子を思い浮かべました。少年時代も小柄で落ち着きがなく、母親は将来を心配していました。しかし、今では多くの苦難を乗り越えて立派に活躍しています。騎手は馬の手綱さばきが勝敗の鍵を握っています。先行逃げ切りの馬もいますが、多くの馬は耐えることができることが良い結果に繋がります。人間の成長にも耐える経験が必要ではないでしょうか。子どもの自立は「おしめが取れる」「立ち歩きができる」頃から始まると言われています。幼児期程自己主張が強く、欲求が叶えられるまで泣き続ける光景はよく見かけます。欲求を全て抑え込むことは問題ですが、「がまんする」経験も大切です。特に、場面や様子によって知らせることは親の責任であります。がまんのさせ方として、兄弟の年齢差によって、お小遣いやお年玉の額に差があること、公共の場や、大人同士の会話の中で、欲求を発してはいけないことを知らせることは親の躾であります。少なくても5才以上になればいけない理由が理解できます。ただ、興奮している時にいくら話しても無駄です。心のコントロールは経験によって身についてきます。