4月6日(木)主イエスの十字架上のことば⑤
それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。
酸いぶどう酒がいっぱい入った器がそこに置いてあったので、兵士たちは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝に付けて、イエスの口もとに差し出した。
(ヨハネの福音書19:28)
「わたしは渇く」との主イエスの言葉と、続く一連の出来事は、詩篇69:21「彼らは私の食べ物の代わりに毒を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました。」を想起させます。
主イエスの「渇き」は、肉体的な苦痛によるものであると同時に、神の臨在に対する霊的なうえ渇きでもありました。「私のたましいは神を、生ける神を求めて渇いています」(詩篇42:2)。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネの福音書 7:37-38)と主イエスは約束されました。
主イエスこそ、聖霊によって私たちに神の豊かないのちを与えるお方です。そのお方が、「わたしは渇く」と言われたのはなぜでしょうか。私たちが渇くことのないためです。私たちが神の臨在の中で生きるようになるためです。私たちが、渇くことのない神の豊かないのちを受けるために、聖書に記されている神の御心を行うことが、主イエスの最も求めておられることでした。
そのためにこそ、主イエスは十字架上の苦難と死をすべて「聖書が成就するため」に、お受けになったのです。