4月2日(日)主イエスの十字架上のことば①
「どくろ」と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪人たちを、一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。
民衆は立って眺めていた。議員たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい。」(ルカの福音書 23:33-35)
「父よ、彼らをお赦しください。」主イエスは、ご自分を十字架につけ、嘲る者たちのために父なる神に祈られました。
人々の嘲りの言葉は、彼らの意図に反して、真実を含んでいます。「あれは他人を救った。」
そうです。主イエスの生涯は、徹底的に、人々の、そして私たちの救いのために差し出されたものでした。だからこそ「自分を救う」ために、主イエスが何かをされたことは、ただの一度さえもありませんでした。この事が最も明らかになったのが十字架の上です。ご自分のいのちを私たちの罪の代価を支払うために捧げ尽くされることが、父なる神のみ心であり、御子が来られた目的だったからです。
「父よ、彼らをお赦しください。」主イエスの祈りは、罪ゆえに霊的盲目と無知に陥っているすべての人々のためのものです。神のみ心は、御子を信じる者が滅びることなく、罪をゆるされ、闇から光へと移され、永遠のいのちを持つことです。
今日、十字架上で祈られた主イエスのお姿を前に、私たちの応答は、どのようなものでしょうか。
ローマの百人隊長の応答を、私たちの心からの告白とさせて頂きましょう。
「この方は本当に神の子であった。」(マルコ15:39)
※[みことばの学びのためのヒント]
ルカ福音書は、主イエスの十字架刑について、その残酷さの詳細に長い記述を割くのではなく、むしろ、事実を簡潔に記しています。「彼らはイエスを十字架につけた」。ルカ福音書が注目しているのは、ここでは以下の三つの事です。
1)イエスは、二人の犯罪人と共に十字架にかけられたこと。
2)兵士がイエスの衣をくじで分けたこと。
3)議員たちを含む民衆が十字架上のイエスを嘲ったこと。
これらはすべて、旧約聖書(詩篇22篇、イザヤ53章)に記されていることであり、主イエスの十字架上の死は、預言の成就であり、神が私たちの罪を許し、滅びから救うために歴史の中で働かれたことをルカ福音書は示しています。
(Photo: Unsplash by Aaron Burden)