4月20日受難週の御言葉

 「それから、イエスを取り降ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた。」(ルカ23:53)

 

主イエスの十字架は、あらかじめ旧約聖書で預言されていたことでした。主イエスの葬りについてもそうです。主の葬りは、通常の十字架刑で死んだ人の葬りとは全く異なるものでした。アリマタヤのヨセフやニコデモによって、それは十字架刑の犯罪人にはそぐわない、王に対する葬りのようだったのです。葬りについても、聖書の預言が成就したのです(イザヤ53:9)。

 

主イエスの墓は、ユダヤ人指導者たちによって、三日目まで封印がされ番兵が配置されました。それは、彼らがイエスが弟子たちによみがえることを話していたのを思い出し、弟子たちが死体を盗み出して、イエスが「死人の中からよみがえった」と民衆を惑わしてはいけないと考えたからでした。しかし、人がいくら神の業を阻止しようとしても、神は約束を必ず成し遂げてくださいます。主イエスの復活の命は、動かすのに不可能と見えるどんなに大きな墓石であっても封じることは出来ませんでした。主イエスを信じる者には、この死をも打ち破るイエスのよみがえりの命が与えられているのです。人にはどうすることもできないことでも、神には出来ることをもう一度覚え、明日のイースターの朝を迎えましょう。

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