4月16日受難週の御言葉

「イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。」(マタイ21:21)

 

火曜日の朝、主イエスとその一行が宮に向かう途中の事です。昨日まで青々と葉が生い茂っていたいちじくの木が、その根まで枯れていました。ペテロは主がその木をのろったことを思い出して、説明を求めました。主の答えが、今日の御言葉です。

 

いちじくの木は、イスラエルのことです。父なる神は、いちじくの木が豊かな実を結ぶようにと、御子イエスを遣わされたのでした。しかし、主の公生涯が残り一週間もないという時に至っても、いちじくは一向に実をつけようとしません。かえって、宮の中は葉ばかりが茂っているいちじくの木の様に、祈りや信仰ではなく、神殿商売による人々の賑やかな声が満ちていたのです。主はそのことを、厳しく戒められました。それは、このままならば、神の民はこのいちじくの木のように根こそぎ枯らされてしまうからです。

 

宮に満ちるべきは、祈りや礼拝で表される神への信仰です。主イエスは、十字架で私たちを罪から贖いだしてくださいました。それは、私たちが主イエスを信じる信仰によって実を結び、その実が残るためであることを覚えましょう。

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