4月15日受難週の御言葉

 

「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです」(マタイ20:28)

 

 

主イエスが、いよいよ十字架で死なれるためにエルサレムに向かっていた旅の最中、弟子たちの話題といえば「誰が一番偉いのか」ということでした。彼らは、こう考えていたのかもしれません—-きっと先生は、エルサレムでローマ軍を蹴散らして王座につき、イスラエルを再建されるはずだ。そうすれば、先生に従う自分たちも、人の上に立つようになる。その時は、誰が「大臣」になるのだろう。

 
彼らは、主イエスの近くにいながら、主イエスのご目的と働きをまったく理解していませんでした。弟子たちの関心は、主イエスではなく、もっぱら自分たちのことにありました。私たちは、彼らを責めることはできません。弟子たちの姿は、この私の姿でもあるからです。けれども、主イエスは、弟子たちの、また私たちの弱さをよく知っておられ、今日のみ言葉を語ってくださいました。

 
今週は、受難週です。私たちの関心事は、今、どこに、そして何に向いているでしょうか。主イエスが何のために私たちの所に来てくださったのか、もう一度、深く思いめぐらしましょう。しもべの姿をとり、私たちに仕え、いのちまでも与え尽くしてくださったイエス様こそ、私たちの最大の関心事なのですから!

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