言葉の大切さ

・先日大変ショッキングなタイトルの本を読みました。M・スコット・ペックの『平気でうそをつく人たち』と言う本で、虚偽と邪悪の心理学という副題が添えられていました。甚だ難解な書で、一回読んだだけでは理解しがたいところが多く残っています。ただその最後の集団の悪についてという章であのベトナム戦争当時のソンミ村虐殺事件について触れているところには、極めて強く考えさせるものを感じました。ゲリラ掃討の任務にあたっていた中隊がある地区に進撃したのですが、そこには武装しているベトナム人はまったく見当たらなかった、つまり武器を持たない女子供と老人だけしかいなかったということです。しかし中隊の隊員たちは無抵抗の村民たちを殺害してしまったというのです。その数は500人とも600人ともいわれていますが正確なことはわかっていません。隊員の誰もこのことを制止することなく、銃を乱射し続けたというのです。ただ一人上空を飛んでいてこの状態を見ていたヘリコプターの操縦士だけが急遽着陸して制止しようとしたということですが、これは無駄だったようです。ふたたびヘリコプターを離陸させた彼は、司令部の上級将校に無線で連絡したそうですが、この将校も全く関心を示さなかったということです。しかもこれほどの犯罪がその後かなり長期にわたり外部に知られることなく過ぎてしまったということは信じがたいことです。
・ここを読みながら、昨今の風潮と重なり「個人の悪と集団の悪」とか「集団の責任」と言うことには深く考えさせられました。俗に言われている「赤信号、みんなで渡ればこわくない」的な無責任な風潮が蔓延していることに不安を感じていた私には、重いテーマを突き付けられたように思います。群衆の中に自己を埋没させ、自分の言葉の重みを全く自覚していない無責任な人々の言動を見るにつけ腹立たしさを通り越し大きな不安を覚えるのです。
・しかも組織の高い地位にあり全体を見ながら物事を判断しその責任を担うべき立場の人々が、平気で偽りを言う無責任な言動には腹立たしい思いで一杯です。昔「綸言汗の如し」と言う言葉がありました。また「武士に二言はない」と大見えを切る人もいました。それほど、自分が発した言葉には重みがあり、又責任も伴うものだと思います。しかしこの一両年に起こっている様々な出来事には、実に言葉の軽さと言うか、発言に全く重みを感じさせないことが続いていて我が国の将来に不安を覚える昨今になっています。公の立場にある公文書さえ書き換えられたり、偽りのデータが用いられたりと信用性を疑わせるものが多かったこの年の歩みに、我が国の行く末を心配するのは私だけではないと思います。
・今年もクリスマスの時期を迎えましたが、聖書では「初めに言葉があった」と記し、さらに「言葉は神である」と言っております。言葉はまさに人格そのものです。クリスマスはその言葉である神の独り子イエスキリストのこの地上への誕生を祝う記念すべき日なのです。この主人公であるイエスキリストを無視したクリスマスの何とむなしいことかと思います。クリスマスこそ、人類に対する神のメッセージだからです。今こそ、その言葉の重みをしっかりと受け止めたいものです。皆で「本当のクリスマス」を祝いたいと願っています。 (S・M)

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