「ノーモア ヒバクシャ」            2017.8.15

・中村草田男の俳句に有名な「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句があります。私は最近この句をもじった「昭和は遠くなりにけり」という言葉をしみじみと感じています。歴史の変遷の速さに追いついていけない高齢者のせいでしょうか、古い昔のことがやたらに思い出されてならないのです。
・しかし、若い方々には生活実感がともなわないからでしょうか、あるいは新しいことを追及することに忙しいからでしょうか、昔のことを尋ねるということが少なくなっています。しかし、時間的に遠い近いの差はあるにしても、先輩たちの貴重な体験から学ばなければならない事も事実です。それを怠ると結局人類は同じ過ちを繰り返すような愚を犯すことにもなりかねません。
・遠い昔のことはさておき、まだたくさん歴史の生き証人が存在する昭和の時代の出来事は、しっかりと継承していただかなければならないことです。私は先だっての国連決議で核兵器禁止条約交渉会議に日本政府は不参加を決めたということを聞き非常に残念に思いました。核保有国が参加しない会議は現実的でないからと弁明しているようですが果たしてそうなのでしょうか。日本は世界唯一の被爆国であることを忘れてしまったのでしょうか。しかし去る8月9日の長崎市長が発表した声明は、「ノーモア ヒバクシャ」という言葉で始まり、核禁止条約の批准を強く求める姿勢を示す被爆国日本の強い思いが込められているのを拝見し、心底より同感したものです。今こそ戦争被爆国である我が国が声を大にして訴える責務があるのではないでしょうか。
・国際的には、いずれかの国が核を使用する噂さえ聞こえ始めています。今や広島・長崎の原爆の数千倍の威力を持つ核兵器が、この地球全体を滅ぼすことのできる量の何倍も備蓄されているのです。さらに一向に納まらない兵器の開発競争も、もはや人間の理性がコントロールできない段階に来つつあります。
・あの原爆被ばく体験から70年を超え、すでに第三世代になり、直接の体験者は極めて少なくなっています。しかしこの体験はしっかりと継承されていかなければいけない課題であり、日本国民としては決して忘れてはならない事柄であります。この人類の過ちを二度と繰り返させてはならないのです。
・しかし結局のところ人類は歴史に学ぶことをせず、同じ過ちを繰り返していく愚かな生き物なのかもしれません。特に日本人の国民性としてすべてを水に流すという風潮が強く、そしてのど元過ぎれば熱さを忘れるとも言われます。子供たちへの継承もどのように行われているのか不安になってきますし、最近の教育勅語論争などを聞いていると、指導者たちが全く歴史から学んでいないことを強く感じます。先人たちのご苦労、特にその当時の心ある人たちがどれほど深い葛藤を経験されてきたことか、我々は真剣に学ぶ必要があるのではないでしょうか。
・聖書の詩篇にはモーセが「知恵ある心を得ることが出来ますように」と神に祈り求めているところがあります。彼は人間がいかに多くのことを知っているといても人間が知るべきことの最も大切なことを知らないことになるのだということを、告白しているのだと思います。謙虚でありたいと願います。                 <S・M>

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