「創造主への畏敬」

・熊本地方で大きな地震が発生し、国民生活に多大な影響を及ぼしており、5年前の東日本大震災に次ぐものとしてその影響が心配されている。テレビ等で毎日伝えられる情報を心痛む思いで見ているが、同時に改めて自然の持つエネルギーの大きさと、それに対比する人間の無力さを強く感じさせられる。時を同じくして南米エクアドルでのさらに大きな地震被害の報道は他人事とは思えない出来事であり、昨年のネパール地震は未だに収束を見せない大きな被害にただただ自然の持つ大きな力に脅威を抱くばかりである。
・世界で発生する大地震の2割以上が日本周辺で起こっているという「地震大国・日本」としては、現状の姿のままで良いのかという問いが浮かんでくる。しかし、これだけ科学技術が進んでいるにもかかわらず、その発生を防ぐことはおろか、発生の予知すらほとんどできていない現状を見れば大きな限界を感じないわけにはいかない。原発建設地の周辺に活断層が走っていないかどうかという議論も行われてはいるが、政府や企業は概ね楽観的な見解で、危険性をあまり考えていないようである。たしかに活断層が動くかどうかと言うことも、数百年、数千年、いや数万年・数十万年と言う気が遠くなるような単位で考えられており、自分たちの世代に及ぶことではないと考える向きが多い。それは短い人類の歴史の中では経験したことのない動きかも知れないが、始末が悪いのはそれがいつ発生するのかその時期が分からないことである。現に今回の地震の原因とされる活断層の一つである布田川断層帯は、伝えられるところによると、今後30年間にマグニチュード7.0程度の地震の発生確率はほぼ0%-0.9%と言われてきた。にも拘らず今回7.3の大地震が発生してしまった。
・私はここで聖書の言葉を想起せざるを得ない。それは「愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。」とい熊本城うペテロの手紙の一節である。人間のもつ尺度と自然のそれとはまったく異なるのである。永遠の神は時間を超越しておられる存在で、我々とは時間の観念を異にし給う方であり、その目には永遠も現在も一瞬間であり、また一瞬間も永遠であると言うことである。科学技術等の発達により人類があたかもこの世界を支配できるかのような錯覚に陥ってしまっているのではないか。謙虚さを失い人類の未来を奪うような勝手気ままな行為は我々には許されていないはずである。
今こそ、我々は実に取るに足らない小さな被造物に過ぎないことを自覚し、その創造者への畏敬の念を取り戻すべき時ではないかと思うのである。(S.M)

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