「人は見たいものしか見えない」

・ジュリアス・シーザーが言った言葉に「人は見たいものしか見えない」と言う言葉Julius_Caesar2があります。たしかに人間の姿を言い当てている名言の一つかもしれません。人間は無意識のうちに自分の欲している情報だけをチェックし、記憶にとどめているのです。現在私たちを巡って膨大な量の情報が飛び交っていますが、自分が意識してとどめている情報は自ずから限られてしまっているようです。一説には我々現代人は江戸時代の人々の一生の情報をわずか一日で目にし耳にしているということですが、確かにさまざまな情報伝達手段の普及により我々は膨大な情報に取り囲まれて生活していることは事実です。しかしそのことによって我々が格段に豊になったということでも、特別賢くなったということでもないと思います。たしかに知識の量は多少増えたのかもしれませんが、不思議なことに、我々が記憶できている情報量はそれほど差異はないのではないでしょうか。自分にとって大切だと思うことや特に忘れがたい一部の情報だけが記憶に残っているようです。
・「人は見たいものしか見えない」と言う言葉はまさに名言と言うべきかもしれません。しかしこのことはいつまでたっても人間は自己中心の考え方しかできないことを言い表しているともいえるのです。現代ほど世界各地で様々な対立が目立つときはないのでないかと思えますし、まさに対話が求められている時代はないのだと思います。事実国連を中心にさまざまな対話の機会が設けられてはいますが、いつまでたっても平行線をたどり、結局人々のいさかいは何一つまとまらないままです。どんなに時間をかけて話し合いをしたところで、自己に都合の良いことしか見えない者同士では結局のところ新しい展開はほとんど見えないままに物別れに終わってしまうケースが多いのではないでしょうか。
・かの孔子は人生で一番大切な言葉とは「恕(じょ)=思いやり」であると説きました。「己の欲せざる所、人に施すこと勿(な)かれ。」と言うことです。新約聖書の中では、キリストはさらに踏み込んだ発言をして「自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(マタイ7;12)と言っています。いずれにしてもそれがなかなかできないのが人間なのでしょうか、どうしても自己中心になってしまいがちです。しかし、今こそ我々はこの沢山の渦巻く情報の中から、一番大切な事柄を掴みとり、その相手の立場に立って行動を起こしていくことを真剣に考えなければならないのだと思います。
<S・M>

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