「平和を考える月;8月に思う」

・戦後70年の夏、いろいろと平和について思いを巡らす。中東を中心に発生しているテロ活動が次第に拡大をしており、ヨーロッパ諸国にも及び始めている。テロ自体甚だ理不尽な話で、簡単に防ぐすべがみつからないので各国ともピリピリしているのが現状である。悲しい話であるが我が日本人の被害者も発生しているということは、とても他人事とは思えない話になってきている。何か国際的なイベントの際には特に神経を使うことになり、不必要で過剰な警備態勢が求められるのも甚だ不本意である。

・我が国は、今までほとんどそのテロの対象にはならず、比較的平穏でいられたのはほかならぬ平和憲法のおかげであると言われている。確かに中東諸国からは、日本は軍備を持たない国、平和を守る国として信頼を得てきており、むしろ尊敬すら受けてきたことは先の大戦以後の日本の歩みとしては大いに誇ることのできる事実である。

・この混沌とした現在の世界で、わが日本が果たすべき役割は極めて大きいと考える。「平和を守る国;日本」という信頼の中でこそ、我が国の国連理事会常任理事国入りも可能になるし、まさに混乱の調停国として期待が寄せられるのではなかろうか。しかし戦後70年を経た今日、その信頼が大きく揺らぎかけているのは残念でならない。もしかすると、日本も戦争をする『普通の国』になってしまうかもしれない状況になりつつあるからである。

今こそ我が国が本格的に世界の平和を推進する中心になるべきである。なぜなら我が国憲法の最大の特徴である第9条の平和条項に信頼の根底があるからである。

・私は今、およそ100年近く前の我が国の先達、新渡戸稲造のことを思い起こ山上の垂訓している。彼が当時の国際連盟事務次長であったとき、フィンランドとスウェーデンの間で起こっていたオーランド諸島の領有権争いを、後々まで“新渡戸裁定”と呼ばれるようになった画期的な方法で解決したのだ。おかげでオーランド諸島はいまや平和モデルの島となり、領有権争いに悩む世界各国の視察団が来るまでになったという。住民は今でも、新渡戸を尊敬し、平和の恩人と称えており、フィンランドが今もって親日国である所以でもある。

・平和は座して待つものではない。積極的に努力を重ねて作り出していくものである。キリストもあの山上の垂訓で「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」と言われ、使徒たちも新約聖書の各所で平和を追及すべきことを説いている。たとえば、キリストの一番弟子ペテロはその書簡の中で「悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ」と述べているが、これはまさに平和は「待っていて実現できるものではなく、熱心に願い、求めなさい」という勧めになっている。

・この暑い8月、我が国は大先輩新渡戸稲造を思い、世界のピースメーカーとしての使命を自覚するべき時であると思う。                  <S・M>

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