その日その時を知らない

最近、「想定外」とか「前代未聞」などという言葉がしばしば聞かれます。それほど、我々人類が考えたことのない出来事が次々と発生していることになります。特に自然災害においては、これほど高度に発達した科学知識をもってしても予測することのできなかった出来事が次々と発生し、改めて自然の脅威を身にしみて感じさせられている昨今です。
この大自然の力から見たら本当に取るに足らない小さな存在である人類が、宇宙へと飛翔しまたミクロの世界をも極めようとする数々の研究の成果を誇っています。最先端を進む学者たちには、知れば知るほど未知の世界が広がっていくと謙虚に自分たちの限界を認めている方々が多いのですが、一般には人類の未来は前途洋洋、この地球はおろかやがては宇宙にまで我々の支配が及ぶように考えている向きもあります。しかし、人類の飽くなき欲望が自然の調和を乱し、生態系を破壊しつつあります。相次ぐこの想定外の現象の発生は、もう一度われわれ人類に謙 虚さを求めている警鐘ではないかと思われるのです。
我々人間にとって、100%確実に起こる現象は我々の「死」ということです。まさに想定しておくべき出来事です。しかし、残念ながら我々にはそれがいつ起こるかその時を知ることはできません。自分の生や死を自分ではどうしても自由に操作することができないのが人間の宿命とも言うべきものでしょう。突然の事故や突如襲う病は、われわれにとってはまさに「想定外」の出来事で、その描いていた人生設計が大きく狂ってしまうことになります。まさに、聖書が言うとおり『その日、その時がいつであるかは、だれも知らない』ことなのです。それゆえに、多くの人が「死」を恐れるのかもしれません。
もう一つ聖書の中にイエスキリストが教えた譬え話があります。ある豪農が例年にない大豊作に大喜びをし、その収穫物をしまうため以前の倉を取り壊して更に大きなものを建てようと計画をするのですが、神は彼に対して『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』(ルカ福音書12;20)と仰ったというのです。まさに、我々人間が自分の大切な、「その日その時」を知ることができない限界を示しているのです。改めてわれわれ人間の限界をわきまえながら、人知を超えた大能の力に敬意を払って行きたいものだとおもいます。
(S・M)

カテゴリー: 未分類 |