「コンパッション」

先日、地元の少年野球チームと共に陸前高田市へ行ってきました。大震災後始めた被災地支援事業の一環で、子供同士の交流を促進すべく先年陸前高田の少年野球チームを東京に招待し、交流試合を実施したり東京ドームでの巨人戦の観戦をしてもらったりしました。今回は今なお仮設住宅が建っていて使用できないグランドの代わりに、ようやく地元農家のご厚意でお借りできた畑をグランドに整備して何とかゲームができるまでになったのでぜひ来てほしいとのお招きを受けて訪問したものです。私どもは、この機会に東京の子どもたちにまだ十分復旧していない現地の状況を見てもらいながら、災害について肌で何かを感じてもらい、その実情を少しでもわかってもらえれば幸いだと思って企画しました。
現地では『語り部』さんにバスに乗ってもらいあちらこちら案内していただきました。私自身今まで何か所か被災地は訪れてきましたが、この地の被害の大きさと3年半も経過しながらいまだに復旧に殆ど手が付けられていない状況に驚きを禁じ得ませんでした。町の中心部は地盤沈下が激しく、建築物を建てることが許されていませんが、ほとんどの瓦礫は撤去され、はるかかなたまで見通せるだだっ広い平坦な広がりを見せています。ただその中で被災の姿のまま残してある建物等が数か所あります。被災を忘れないために敢えてその姿をとどめておくのだという姿勢にも大いに頷けるところです。あの有名になった「奇跡の一本松」もその一つです。
しかし現地の方々は、次第に被災が忘れられていくという心配を抱いておられました。敢えて被災の惨状を撤去しないで残しているのもそういう気持ちの表れでした。私自身、ともすれば何か遠い昔の出来事のような錯覚を抱くこともあり、決して風化させてはいけない大事な出来事にしっかりと向き合わねばならないと強く感じたのです。
今国内外各地で日々様々な出来事が起こっており、当事者でない者は報道が途絶えるといつの間にか忘れ去ってしまいます。極めて難しいことではありますが、自分の身に降りかかったこととして受け止め、決して他人事ではないという思いをどこまで持ち続けたいものです。私は先年聞かされたCompassion(コンパッション)という言葉を思い出します。日本語にどう訳したらよいのか迷いますが、単なる同情や共感とは異なる「共に苦しむ」という意味合いを持っている言葉です。強いて訳せば「共感共苦」とでも言えるのでしょうか。聖書のいう「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」(ローマ12:15)という言葉になるのでしょう。被災された方々の深い悲しみにいつまでも寄り添って行けるようになりたいものだと思います。それには正しい現状認識と豊かな想像力が必要になると思います。            (S・M)

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