あらためて心の福祉について

・私どもは今21世紀の福祉社会と呼ばれる時代に生きています。先にも少し考えましたが今改めて「福祉」とは何か考えて見たくなりました。

いろいろな辞書の定義でも,大同小異ですが,「福祉」とは人のしあわせを意味する言葉とされています。ある福祉系の大学では、「ふくし」の本質は、すべての人が幸せに生きられるようにすることだとして、その中心にあるものは、「いのち」「くらし」「いきがい」だと言っています。それらを保障するための社会的手だてが、一般的に多くの人が思い浮かべる福祉、すなわち社会福祉です。

・しかし、この「福祉」という言葉は戦後できた言葉だそうです。戦後日本を支配していたGHQはwelfareを意味する単語を日本国憲法に表記せよと命令を出すのですが,それに対応する適切な日本語が存在していませんでしたので、関係者が知恵を絞って、welfareを表す日本語として「福祉」という単語を見出したと言われています。元の英語welfare(ウエルフェア)は「よりよく生きる」という意味です。そこには,昔からあった慈善とか施しとかいう概念は入っていません。

・この「福祉」という文字について、中国文学者である藤堂明保は、「福は富なり、……神の恩恵によって豊に恵まれること」「祉は、神がそこに足を止めたもうの意味」と解説しています。別の言い方をすれば「天の恵みによって幸せな生涯をまっとうして喜ぶこと」の意味と言えましょう。物質の充足ではない、心が満たされしあわせを味わうことができるのが福祉だと言えましょう。

・こう見てくると、福祉は心の問題であり、更には宗教の問題でもあると言わなければならないのではないでしょうか。我々の宗教意識が改めて問われていると言えましょう。自分の精神生活、自分の心を見つめることを大事にしていきたいものです。

 私は4世紀の哲学者で聖人と呼ばれたアウグスチヌス言葉を思い出します。

“神は私たちをご自身にむけておつくりになりました。

ですから、私たちの心は,神のうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです。“

「告白録」より

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