3・11に思う

・今年もまた3・11の日を迎えることになりました。忘れようとしてもどうしても忘れることのできない,私たちの心に深く刻み込まれた日であります。多くの日本人にとっては絶対に忘れてはいけない日なのかもしれません。下からM9という前代未聞の強烈な揺れが襲い、横からは想定外の高さで津波が押し寄せて来て,更には上からは放射能が降ってくるというまさに前代未聞の困難さが我が国を包んだのです。そしてそれは、我々の“いのち”について真剣に向き合う貴重な機会にもなりました。決して忘れてはいけない我々にとって大切な日となったのです。

・これを我が国の一部地域の出来事として,国全体として受けとめることができないとしたら、それは大変な心得違いであると言って良いでしょう。被災地を訪問したことがないとしても,これだけ発達した各種メディアの報道に接するだけでも臨場感溢れる体験を共有できる部分がたくさんあるはずです。これはまさに我々人間としての生き方の根底を揺さぶる厳しい問いかけでもあるのです。多くの貴重な命が失われ,営々として築いてきた財産があっという間に流され、自分の土地に住むこともできなくなってしまった今回の出来事は、我々の生き方を見つめ直さなければならないと迫ってくるようです。

・特に広島、長崎、第五福龍丸、に続いての今回の福島原発問題は世界中で日本人だけが味わった苦い被爆体験です。この4回にわたる経験を我々は決しておろそかに扱ってはならないことだと思います。今こそ我々から全人類に向けて発信していかなければならないのではないでしょうか。

・ところが,既に原発再稼働の議論が浮上してきています。確かに経済効率からみて発電コストの比較的安いとみられている原発に経済界からの要望が集まるのかもしれませんが、全世界的に見ても未だに使用済み核燃料の最終処分が決まっていないのに,現在の我々人間の生活優先、経済優先の考えだけの議論で、将来の我々の子孫にどのような大きな負担を残すことになるか考えようともしない発想が許されるのでしょうか。遠い先のことは他人任せにして目先の利益だけのことで軽々しく原発の問題を判断することは無責任のそしりを免れません。これこそ、神が我々人類に預けてくれたこの地球を、自分勝手に処分してしまおうとするエゴイズムだと言わなければなりません。

・3・11。この日を厳粛に過ごしたいものです。

カテゴリー: 未分類 |