謙虚さを失った日本人

・人間の生命を維持する「水」と「みどり」は欠かせないものですが,現代は「空気」も心配しなければならなくなってきました。放射能汚染は深刻な課題を突きつけていると思います。

・多大の犠牲を払った地震・津波の被害とは異なる原発事故の被害はいまだに進行中であり、これからどれだけ大きなものになるか予測もつきません。今回の福島原発事故は人類生存にとって極めて憂慮すべきこととして警鐘が鳴らされたと考えるべきでしょう。地震・津波は天災ですが、原発は人災の要素が極めて大きいと言えます。関係者がだれもその責任を認めたがらないだけです。そのため、いまだに原因究明が不十分で,将来に向かって安全な道筋は全く見えてきません。それにもかかわらず昨今の原発再稼働の動きは、全く逆なコースを辿ろうとする危険な動きです。貴重な代価を払った今回の歴史から何も学んでいないのかと疑問を抱かされます。

・確かにエネルギー小国の我が国にとって、原子力発電は貴重な存在だったかもしれませんが,このまま進んで行けばまた同じ事故が起きないという保証は全くありません。にもかかわらず「電力不足」とか「産業振興」とか、「経済優先」の原理が原発の再稼働容認につながるとしたら非常に不安を覚えます。

・我々日本人は何が一番大切か学んだはずです。「想定外」とか「有史以来初めて」という言葉が飛び交いました。そしてそれはまさに責任逃れの言葉として使われました。ここまで来てもまだ、我々は人間を超えた存在を認められないのです。再稼働に向けて「原発は絶対安全」などということをどうして言えるのでしょう。まさに謙虚さを失った日本人、人間が有限の存在であること見失った日本人の思い上がりではないでしょうか。謙虚さを失った我々は猛省すべき時に来ているのだと思います。

・旧約聖書にバベルの塔の物語が出てきます。これは人間が神に近づきたい

いう願望を持って当時の技術のすべてを注ぎ込んで高い塔の建設に当たる人類の姿を見て,神はその言語を乱し,互いに意思の疎通が図れなくなり建設を中断する,と言う物語です。

 人間が自分たちの利益を目論みながら,かえって自分たちに大きな不幸な結果を招くという皮肉な現象に,我々は謙虚に反省するべき大切な時だと思います。

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